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新沼の民俗~宮城県大崎耕土における暮らしの諸相~ 刊行物一覧 | 東北歴史博物館 TOHOKU HISTORY MUSEUM

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全文

(1)

参道で沸かされる釜の湯(秋の例祭)

(2)

各家を回る御巡行 敷玉早御玉神社の祭礼(春の例祭)

(3)

下宿での共同作業 上沖での共同作業

(4)

ダイズ消毒の共同作業

(5)

新沼の民俗

(6)
(7)

ご挨拶

東 北 歴 史 博 物 館 で は 、 展 覧 会 の 開 催 な ど を 通 し て 、 東 北 地 方 の 歴 史 や 文

化 の 周 知 を は か る と と も に 、 調 査 研 究 を 通 し て 、 東 北 地 方 の 新 た な 歴 史

文 化 の 掘 り 起 こ し に も 力 を 入 れ て お り ま す 。 こ の た び 、 東 北 学 院 大 学 民

俗 学 ゼ ミ ナ ー ル と 共 同 し て 実 施 し た 調 査 事 業 の 成 果 と し て 、 こ こ に 「 新

沼 の 民 俗 ~ 宮 城 県 大 崎 耕 土 の 暮 ら し の 諸 相 ~ 」 を 刊 行 す る も の で あ り ま

す 。

当 館 と 東 北 学 院 大 学 民 俗 学 研 究 室 と の 共 同 調 査 は 、 2003 年 よ り 南 三 陸

町 戸 倉 波 伝 谷 地 区 に お い て 開 始 し 、 2008 年 に 「 波 伝 谷 の 民 俗 」 を 刊 行 し

て お り ま す 。 本 報 告 書 は そ れ に 続 く も の で 、 2008 年 度 よ り 開 始 し 、 途 中 、

東 日 本 大 震 災 を 挟 み な が ら 、 2016 年 度 ま で 行 な っ た 宮 城 県 大 崎 市 三 本 木

新 沼 地 区 の 調 査 成 果 を ま と め た も の に な り ま す 。

新 沼 地 区 は 、 大 崎 耕 土 と 呼 ば れ る 宮 城 県 内 で も 最 も 肥 沃 な 平 野 で 、 宮

城 県 の 稲 作 の 中 心 地 に 位 置 し ま す 。 田 地 の 広 が る 中 に 、 島 状 に 形 作 ら れ

る 上 宿 、 下 宿 、 上 沖 、 下 沖 、 中 谷 地 、 北 谷 地 と い う 6 つ の 集 落 か ら な り 、

い わ ば 純 稲 作 農 村 と い う 日 本 民 俗 学 が イ メ ー ジ し て き た 典 型 的 な 集 落 と

な り ま す 。一 方 で 、数 十 年 続 い て き た 減 反 政 策 や 、環 太 平 洋 パ ー ト ナ ー シ ッ

プ 協 定 (TPP) に 代 表 さ れ る 農 業 の グ ロ ー バ ル 化 の 影 響 も 強 く 受 け て き た

地 域 で も あ り ま す 。 さ ら に は 、 2017 年 に 認 定 さ れ た 世 界 農 業 遺 産 「 持 続

可 能 な 水 田 農 業 を 支 え る 『 大 崎 耕 土 』 の 伝 統 的 水 管 理 シ ス テ ム 」 を 体 現

す る フ ィ ー ル ド で も あ り ま す 。 そ う し た 中 で 現 在 ま で 伝 え ら れ て き た 民

俗 が 具 体 的 に ど の よ う な も の か 。 現 代 日 本 の 民 俗 を 考 え る 上 で も 重 要 な

フ ィ ー ル ド と な り ま す 。

こ う し た 調 査 報 告 を 大 学 と 共 同 し て 実 施 で き た こ と は 、 社 会 教 育 施 設

と し て 生 涯 学 習 を 担 う 当 館 に と っ て も 意 義 あ る も の で あ り ま す 。 こ の 調

査 を 通 し て 、 地 域 社 会 に 伝 わ る 民 俗 に 触 れ た 多 く の 大 学 生 た ち が 社 会 に

巣 立 っ た と き に 、 こ の 経 験 が 役 立 つ こ と を 願 う も の で も あ り ま す 。 ま た 、

博 物 館 と の 関 係 を 今 後 も 続 け て い っ て 頂 く こ と を 願 う も の で も あ り ま す 。

最 後 に な り ま す が 、 調 査 に ご 理 解 を い た だ き ご 協 力 を い た だ き ま し た 新

沼 の 皆 さ ま に 感 謝 申 し 上 げ ま す 。 さ さ や か か も し れ ま せ ん が 、 本 報 告 が

地 域 の 皆 さ ま の 財 産 に な る こ と を 願 い ま す 。

平 成 30 年 3 月 16 日

(8)

1. 本調査は東北歴史博物館と東北学院大学民俗学研究室が実施した、宮城県大崎市三本木(古川)新沼地区 の民俗に関する調査報告書である。調査期間は 2008(平成 20)年 8 月 17 日から 2017(平成 29)年 11 月 8 日である。

2. 本書は、文化庁平成 29 年度文化芸術振興費補助金(文化遺産総合活用推進事業)の補助を受けて、宮城 県地域文化遺産復興プロジェクト実行委員会(事務局 : 宮城県教育庁文化財保護課)が発行した。

3. 本書の執筆分担は巻末に記した。また、本書は政岡伸洋監修のもと、編集を遠藤健悟、真柄侑、岡山卓矢、 沼田愛(以上、東北学院大学民俗学研究室)、小谷竜介(東北歴史博物館)が行なった。

4. 本書においては新沼地区を「新沼」と表記した。

5. 文中の民俗語彙はカタカナで表記し、必要に応じて( )内に該当する漢字を示した。 6. 動植物名は、カタカナ表記とした。

7. 本書の図版には、各章ごとに章番号と通し番号を付した。例えば 1 章の 1 番目の図の場合は図 1-1 と記し、 表の場合は表 1-1 と記する。

8. 文献の引用については、以下の形式で、執筆者名、出版年、引用ページを示し、文献情報は巻末に引用・ 参考文献一覧として付した。なお、安永年間の「風土記御用書出」、「代数有之御百姓書出」、円通院の「書 出」、若寶院の「書出」については、各書出を総称して「安永風土記」と表記する。本書では『宮城縣史』 25 を底本とした。

9. 年号の記述は西暦を優先とし、必要に応じて( )内に元号を示した。特に断りのないものは新暦を表し、 旧暦を用いる場合は旧暦 10 月 20 日のように記載する。

10. 本書に記載されている事項の情報提供者(話者)はプライバシー保護の観点から、原則的に個人名を記載 しない。特定の例を示す場合に区別する必要がある場合は、各章ごと A 家、B 家とアルファベットを付け て表記した。

(9)

目次

【巻頭】

 ご挨拶 東北歴史博物館 館長 鷹野光行  凡例・例言

 新沼地区周辺図  上宿集落図  下宿集落図  上沖集落図  下沖集落図  中谷地集落図  北谷地集落図

第 1 章 地域の概要 ……… 15  第 1 節 仙北地域と大崎 ……… 16  第 2 節 大崎地域の歴史的世界 ……… 16   (1)中世東北の中心地としての大崎

  (2)近世の新田開発

[新田開発][買米仕法][鳴瀬川舟運]

 第 3 節 新沼の誕生と展開 ……… 19   (1)新沼村の誕生

  (2)「安永風土記」にみる近世の新沼

[村名の由来と若宮八幡社][村落構成][小名と屋敷][円通院と若寶院][その他の神仏]   (3)近代以降の展開

[近代初頭の新沼][今日の行政区の形成]

第 2 章 生業 ……… 25  第 1 節 生業の概要 ……… 26   (1)耕地

[土地][土質][農業の状況][圃場の整備][換地と換地委員][畑作物に利用する耕地]   (2)水利

[稲作の水利慣行][水路の整備][自家消費作物における水の管理]   (3)水害

  (4)労働

[ユイ][テマドリ][ヒデマ(ヒデマドリ・ヒヤトイ)][農耕牛・農耕馬][農業機械の導入][作業委託][自家消費作 物の管理と作業分担]

 第 2 節 農業 ……… 33   (1)稲作の一年

[作付けする品種の変化][種籾の準備][播種・育苗][耕起][肥料][代かき][田植え][植え直し][サナブリ][マ ンガアライ][イネの病害対策][イネの虫害対策][除草][農薬の散布][稲刈り][ワラタキ][乾燥][イネの脱穀][出 荷][アキタブチ(アキブチ)][農閑期]

  (2)減反政策と集落営農 [ダイズの生産][その他の転作物]   (3)農業の新たな展開

(10)

  (4)畑作

[種・苗の購入・保存][肥料][虫害][獣害][野菜の出荷と販売][個人販売を目的とした野菜作り][道の駅への販売]  第 3 節 諸職 ……… 46   (1)畜産

[ウシの品種][ウシの飼育][施設][ウシの戸籍管理]   (2)商店・行商

[佐々木魚屋(佐々木ストア)][宍戸会館(下宿)][佐々木施工所(下宿)][佐々木豆腐屋(上沖)][千葉魚屋(上沖)] [東京屋(上沖)][伊藤商店(上沖)][佐藤商店(下沖)][高橋商店(下沖)][豆腐屋(下沖)][紙芝居屋・アイスキャ

ンディー屋(上沖・下沖)][鹿野商店(中谷地)]   (3)馬車屋

[概況][ウマの取引]   (4)バクロウ(馬喰)   (5)便利屋

  (6)漁撈

[サケ漁][川魚][水路での漁]   (7)亜炭採掘

第 3 章 社会組織 ……… 53  第 1 節 集落の運営 ……… 54   (1)新沼の 6 つのブラク

[ブラクの概況 ][班・トナリグミ・組]   (2)ブラクの役職と集まり

[ブラクの役職][寄合・座談会][総会][新年会][エハライ][その他の行事]   (3)防災と防犯

[消防団][婦人防火クラブ][防犯実働隊]   (4)金銭の貸し借り

[頼母子講][改造頼母子講]

 第 2 節 新沼の契約講……… 58   (1)上宿の六親講

[講の沿革と役割][講の役職者とトウグミ][規則][フルマイとトウワタシ][講の謡][六親講とクワガラ]   (2)下宿六親講

[新沼下宿六親講規則][講の役職者とヤドマエ][総会]   (3)下宿の家中組六親講

[講の沿革と役割][家中組六親講規約][講の役職][定例会]   (4)上沖契約講

[講の役割と講員][上沖契約講々則][講の役職][総会]   (5)上沖の天神契約講

[講の役割と講員][天神契約講規約][講の役職][総会]   (6)下沖の契約講

[講の沿革と役割][講の役職]   (7)中谷地契約講

[講の役割と講員][中谷地契約講取決事項][講の役職][ケイヤクコウ(契約講・集会)][雷公天神と契約講]   (8)北谷地六親講

(11)

 第 3 節 年齢組織 ……… 77   (1)子供会

[子供会]   (2)青年組織

[青年会]

  (3)老人の集まり [老人クラブ][老人の集い]

 第 4 節 農業を営むための集団 ……… 78   (1)農協との関わり

[農協とブラク][農協青年部]   (2)農家の組合

[農家組合][集落営農組合]   (3)技術向上と集まり

[4H クラブ][みのり会]

 第 5 節 女性の付き合い ……… 80   (1)愛育会と婦人会

[女性の集まりの変化][愛育会][婦人会]   (2)さまざまな女性の付き合い

[野菜部会][ひまわり会][コスモス会][たんぽぽ][愛藍クラブ][華甲会]   (3)女性の講

[山の神講][観音講]

 第 6 節 親睦の集まり ……… 82   (1)同世代の集まり

[読書クラブ][18 年会][ドライブクラブ][中友会][桜美会][北虹会]   (2)近所付き合い

[オチャッコノミ]

 第 7 節 家と本家分家関係……… 84   (1)家族

[家長と相続][長子相続][家族の呼称]   (2)本家分家関係

[本家とベッカ][テマドリベッカ][ワラジヌギバ]   (3)屋号

第 4 章 衣食住 ……… 87  第 1 節 衣 ……… 88   (1)日常の衣

[普段着][夜着][下着][はきもの][防寒着][雨具][子守の衣][衣類の入手][髪型][化粧]   (2)仕事の衣

[田仕事の作業着][カセギシャツ][ハダッコ][ユキバカマ][ミノ][アミガサ][市販の作業着]   (3)自製の衣類

[衣類の材料][裁縫][編み物]

 第 2 節 食 ……… 93   (1)食と生活

(12)

[白米][麦飯][カワリゴハン][カテメシ][麺類]   (3)自家消費作物の栽培と消費

[栽培作物の選択][栽培と管理][作物禁忌][自家消費と作物のやりとり][野菜の加工と保存]   (4)副食

[漬物][汁物][魚介類][鯨肉][肉]   (5)調味料・嗜好品

[味噌][醤油][塩][油][どぶろく][おやつ]   (6)餅食について

[餅の種類と調理][餅の保存][餅を作る道具][正月の餅][盆の餅][彼岸の餅][農作業と餅食][日常生活と餅]  第 3 節 住 ……… 104   (1)屋敷の利用

[屋敷の建物][作業場][小屋][蔵][イグネ][ホリ][カドッパ][井戸][風呂][味噌部屋]   (2)母屋の間取りと使い方

[母屋の間取り][土間][ダイドコロ][イマ][ナカノマ][カミザシキ][ナンド][ウラザシキ][作業場][便所]   (3)各家の事例から

[A 家の間取り][B 家の間取り][C 家の屋敷地と間取り][D 家の間取り]   (4)屋根

[クズヤ(茅葺屋根)][コバップキ(皮葺屋根)][トタン屋根・瓦屋根]   (5)火について

[囲炉裏][カマド][火鉢][照明]   (6)建築儀礼

[地鎮祭][上棟式][新築祝い][火入れ]   (7)燃料

[薪][ヌカ][亜炭][スギッパ][プロパンガス]   (8)水回り

[上水道][下水道]   (9)通信

[電話][ラジオとテレビ]

第 5 章 人の一生 ……… 117  第 1 節 子どもの誕生 ……… 118   (1)妊娠の期間

[妊娠とその報告][妊婦の呼び名][腹帯][安産祈願][山の神講][妊婦の生活][妊娠に関わる言い伝え]   (2)出産

[産婆][場所][出産][アトザン・へその緒の処理][避妊・中絶]   (3)出産後

[湯浴み][授乳、離乳食][産着、子どもの衣服][産の忌と生活][出産後の里帰り]   (4)子どもの成長

[命名][オシチヤ][初外出][宮参り][食い初め][初正月・初節句][初誕生(一升餅)][言い伝え]

 第 2 節 青少年期のくらし ……… 122   (1)少年期

[子守り][子どもの遊び][子どもの仕事][七五三][初潮][戦時中・後の学校生活]   (2)青年期

(13)

 第 3 節 結婚 ……… 124   (1)見合いと交際

[相手の条件][見合い][仲人][結納前の交際]   (2)縁談の成立

[モライジョウ、クレジョウ][結納][ナイザケ][結納金、化粧代][カサイレ]   (3)婚礼準備

[日取り][オオウチサマの依頼][ザハイニンの依頼][ヨメゾイ、ムコゾイ][料理、引き出物の準備][嫁入り道具の用意]   (4)婚礼

[場所][衣装][デシュウギと嫁迎え][ヨイサモチ(出祝儀餅)][花嫁行列][ヨイサモチ(迎え餅)][家に入る儀礼] [餅の取り交わし][ホンシュウギ(本祝儀)の参加者と座順][三々九度][親戚名乗り][床入れ]

  (5)婚礼以後

[ザンス][挨拶回り][ヨッカレイ][新婚旅行][嫁の立場]

 第 4 節 厄年、年祝い ……… 132 [厄年、年祝い][還暦祝い]

 第 5 節 葬送 ……… 133   (1)葬式前

[死の予兆・言い伝え][魂呼ばい][枕直し][知らせ]   (2)葬式の準備

[日取り][戒名・位牌][入棺][供え物][講による手伝い][葬送用具の準備]   (3)葬式

[通夜・タイヤ][喪主][参列者の服装][香典][葬儀][葬列][撒き銭][アトバライ][埋葬][墓制][供養膳][ミ アライ][精進料理][葬儀に関わる言い伝え]

  (4)葬式後

[忌の期間][念仏][遺品][法要・年忌]

第 6 章 年中行事 ……… 143  第 1 節 正月 ……… 144   (1)正月の準備

[大掃除][納豆ねせ][餅搗き][正月料理の準備]   (2)正月飾りと供え物

[ゴシンプ、ヘイソク、オカザリ][シメナワとオトシナ][カドマツ][ミズキモチ][アワボ][ミダマサマ][ナンテン]   (3)正月

[トシガミへの供え物][トシコシの膳][トシトリの謡][元朝詣り][ワカミズ][正月期間の供え物][正月料理][ゴ ガンニチ][挨拶回り][ヨッカレイ][七草][ノウハダテ][クラビラキ][仏事と正月行事]

  (4)小正月

[どんと祭][小正月の飾りつけ][オンナノトシトリ][アカツキマイリ][トリオイ][成木責め][ナマコヒキ][墓参り(仏 様の日)][二十日正月][オヒマチ]

 第 2 節 春の行事 ……… 153 [節分][桃の節句][春彼岸][端午の節句][オダノカミサマ][若宮八幡神社春季例祭][サナブリ]

 第 3 節 夏の行事 ……… 154 [虫送り][夏越の大祓][七夕]

 第 4 節 盆 ……… 155 [墓掃除][盆棚作りと供え物][七夕馬][盆供養][墓参り][オタイマツ(盆火)][盆の食事][初盆、新盆][盆踊り] [盆礼][盆棚の片付け][二十日盆][送り盆]

(14)

[マエオガミ][二百十日][八朔の朔日][月見][重陽の節供][秋彼岸][秋の例祭][カッキリ][下沖の秋祭り][ニ ワバライ][エビスコウ][お大師][冬至][水こぼしの朔日][大黒の迎え]

第 7 章 信仰 ……… 161

 第 1 節 若宮八幡神社 ……… 162

  (1)若宮八幡神社 [由緒][摂社と末社]   (2)境内の施設 [社殿][社務所][鐘楼][古墓][忠魂碑][古碑][社宝その他]   (3)神社に関わる人々 [神職][氏子と氏子総代]   (4)若宮八幡神社の祭礼 [春秋の例祭][本祭][御巡行][春例祭の前夜祭][神輿渡御][秋例祭の前夜祭][湯立神事]   (5)神社の年中行事 [神札とオカザリの頒布][日待ち][どんと祭][オダノカミサマ][夏越しの大祓][普請の祈祷][お籠り][跡祈念] [小社の祭祀]  第 2 節 円通院 ……… 175

  (1)円通院 [沿革]   (2)境内の施設 [伽藍][仏像][黒観世音菩薩][墓地][住職][護寺会]   (3)寺院の行事 [年越しと正月][涅槃会][春彼岸][観音講][花祭り][黒観音の祭り][盆][秋彼岸][両祖忌][達磨忌][接心会]  第 3 節 信仰される小社 ……… 177

  (1)家内の屋敷神等 [屋敷神][雷神][観音様][弁天][諏訪神社]   (2)勧請した小社 [愛宕神社][薬師堂][天神宮][道祖神][三吉神社][百古(びゃっこ)稲荷神社][高倉稲荷神社][淡島大明神塔] [雷公天神][新沼の石碑・石塔]  第 4 節 神棚と仏壇 ……… 183

[神棚][仏壇][カマ神][水神]  第 5 節 その他の信仰 ……… 184

[山の神講][出羽三山講][オガミヤ(拝み屋)][民間療法] 本報告書の総括として ……… 186

  (1)調査の経緯と調査体制 [博学連携事業と本報告書の刊行][調査体制と活動]   (2)新沼の暮らしの特質を考える [新沼の暮らしの歴史的展開][流通を前提とした稲作の「伝統」][家や個人を軸とした社会関係][衣・食と貨幣経済の浸透][冠 婚葬祭と家や個人の関係の優先][古い行事と新しい行事の併存][信仰からみえる新沼の社会][暮らしの特質と本報告書の意義] 【巻末】  参考文献一覧  ……… 191

 調査参加者名簿 ……… 194

 調査記録 ……… 196

(15)

東北歴史博物館・東北学院大学民俗学研究室(2018)

7

-JA 古川 三本木支店

三本木高柳

三本木蟻ヶ袋

三本木音無 三本木坂本

三本木斉田

古川矢目

古川堤根

三本木桑折

三本木伊賀

三本木

三本木蒜袋

三本木伊場野 古川宮内

古川師山

北町 YKKAP( 株)工場 以前の大型

スーパーマーケット

中谷地

上宿

下宿

上沖

下沖

北谷地

鳴瀬川

多田川

東北新幹線

東北自動車道

国道4号線

県道

三本木小学校

三本木中学校 道の駅三本木

やまなみ

大崎市役所 三本木庁舎 大崎市立

高倉小学校

JA 古川南部 カントリーエレベーター

古川引田

古川中沢

三本木新沼 古川新沼

三本木南谷地

宮城県加美郡加美町

(p13)

(p10)(p11)

(p8)

(p9)

(p12)

新沼地区周辺図

旧 JA 古川 高倉支店

〈凡例〉

道路

東北自動車道

国道

県道

東北新幹線

郡境

新沼 6 集落

主要な施設

河川

四.

i

nd

d

(16)

新沼の民俗

8

-上宿集会所

若宮八幡神社 上川原用水路(志田江)

下宿

上宿集落図

渋谷家(宮司)の古墓

古碑

ウマヒタシバ ポンプ施設

・集落図は新沼周辺図の破線部内を拡大 したものである。

・集落図は、『ゼンリン住宅地図宮城県大崎  市①[古川]』および、『ゼンリン住宅地図  大崎市②[松山 三本木 鹿島台]』をもとに  作成した。

・四角(□)は家屋を示す。

・黒塗りの四角(■)は集会所、若宮八 幡神社、円通院等主要な施設を示す。 ・黒塗りの丸(●)は小社・石碑・古墓

を示す。

・灰色の多角形は沼を示す。

・破線は、かつてのウマヒタシバ、もし くは円通院の墓地を示す。

・灰色の線は水路を示している。各水路 の名称は図内に示した。

・家屋の記載は、集落内に限った。その ため集落外の家屋は記載していない。 ・12 頁より 17 頁は全て上記の凡例に従

っている。 〈凡例〉

飯沼

弁天

四.

i

nd

d

(17)

東北自動車道

愛宕神社

下宿集会所

円通院

上川原用水路(志田江)

薬師堂

鳴瀬川

諏訪神社

下宿集落図

上宿

円通院墓地

円通院墓地

(18)

上沖生活センター

新沼運動公園

天神宮

上沖集落図

(19)

新沼地区

 コミュニティセンター

道祖神

三吉神社

百古稲荷神社

東北自動車道

(20)

雷公天神

中谷地生活センター

中谷地集落図

水門施設

豆坂温泉

三峰荘

ウマヒタシバ

(21)

東北歴史博物館・東北学院大学民俗学研究室(2018)

13

-北谷地部落生活センター アワシマサマの石碑 石碑群

大崎市古川高倉排水機場

北谷地集落図

長堀排水路

竪堀川

多田川

夜泣橋

四.

i

nd

d

(22)
(23)

概 

 

生 

 

信 

 

第 1 章 地域の概要

概 

 

(24)

第 1 節 仙北地域と大崎

本章では、『三本木町誌』上下巻、『三本木の歴史』、 『中新田の歴史』のほか、『宮城県の地名』『角川日本

地名大辞典 4 宮城』の内容をもとに報告する。 本書で取り上げる新沼は、宮城県の内陸北部、い わゆる仙北地域に位置している。この地域は、岩手県・ 秋田県・山形県の 3 県の境と接し、西側は栗駒山(1627 メートル)や船形山(1500 メートル)といった火山 が雄大な景観をみせる奥羽山脈、東側には標高数百 メートル程度の北上山地が連なり、その中間部は両山 地から分岐する丘陵と、両山地に水源をもつ諸河川に よって、仙北平野とも呼ばれる沖積平野が広がってい る。主な河川としては、北上山地の西麓を東北一の大 河川である北上川が南流し、そこに奥羽山脈に発する 迫川や江合川が合流する。また、同じ奥羽山脈から鳴 瀬川が石巻湾に直接注がれている。

勾配は非常に緩やかで、縄文期には河谷に沿って 海が奥深く湾入していたようで、周囲の丘陵地斜面に は貝塚が多く分布している。また、諸河川は蛇行しな がら自然堤防や三日月湖などの微地形をつくり、その 背後には広大な後背湿地を形成していたことから、洪 水の常襲地帯ともなっていた。これらの河川は、かつ ては幾度となく流路を変え、江合川の例をみてみると、 鳴瀬川と合流していた時期のほか、現在東松島市を流 れる定川を経て直接石巻湾に注いだこともあったよう である。そのため、この辺りは長い間、沼沢地や低湿 地として放置されてきたが、江戸時代に入って河川改 修や開発が進められた結果、穀倉地帯へと大きく変貌 し、現在に至っている。

ところで、この仙北地域は大崎、栗原、登米の 3 地域に区分される。新沼のある大崎地域は、北側に江 合川、南側に鳴瀬川が東流し、これにより大崎平野が 形成されている。ここは、大崎耕土とも称され、栗原 の金成耕土や登米の登米耕土とともに、米どころ宮城 県を代表する穀倉地帯となっており、全国的にも知ら れる良質銘柄米のササニシキやひとめぼれも、ここに ある宮城県古川農業試験場で誕生したものである。

大崎地域は平成の大合併以降、行政的には大崎市 および加美郡加美町、同色麻町、遠田郡涌谷町、同美 里町の1市4町で構成されており、新沼はこのうちの 大崎市に属している。大崎市は、古川市と玉造郡の鳴 子町と岩出山町、志田郡の三本木町と松山町・鹿島台 町、遠田郡田尻町の1市6町が、2006(平成 18)年

に合併し誕生した。2005(平成 17)年の国勢調査に よれば、人口は 138,491 人と仙台市、石巻市に次ぎ 県内 3 番目、面積は 796.76 平方キロメートルで、栗 原市に次ぐ 2 番目の広さとなっている。

市の中央部には、国道 4 号線や東北自動車道が通 り、仙台との間をつなぐ高速バスが頻繁に走っている。 また、山形県新庄市から酒田市につながる国道 47 号 線、秋田県由利本荘市までの国道 108 号線も、その 中心である古川地区で重なる。鉄道についても、中央 部に東北新幹線が通り、古川駅が設けられるととも に、市の東部を東北本線が、また鳴子温泉などを経由 して山形県新庄市につながる陸羽東線が市域の東西に 走り、まさに交通の要所となっている。

このような立地条件は、後述するように当地域の 歴史的展開とも関連しているが、今日では電子機器工 場や精密機械工場、住宅建材工場棟がみられるのも、 このような交通の便の良さも背景にあるものと考えら れる。また、商業・サービス業も古川を中心とする地 域に集中している。これらの点から、大崎市は古川地 区を中心に、大崎地域はもちろんのこと、仙北地域の 中心的都市ともなっている。

第 2 節 大崎地域の歴史的世界

(1)中世東北の中心地としての大崎

この大崎地域における歴史をみてみると、これま での発掘成果等により後期旧石器時代から縄文時代、 弥生時代へと人びとが暮らしてきたことが明らかと なっている。また、古代には名生館官衙遺跡などの役 所や、国府多賀城の瓦を焼いたと考えられる窯跡など も確認されている。しかし、ここが注目を集めるのは 中世、特に室町時代以降であるといってよい。奥州探

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題斯波氏がここに本拠地を置いたのである。

「余目氏旧記」によれば鎌倉幕府滅亡後、この辺り は吉良氏と畠山氏、さらに石塔氏と斯波氏が加わり、 4 家で勢力争いが行なわれていたが、その中から頭角 を現し、実権を握ったのが斯波家兼・直持親子で、家 兼が最初に本拠地にしたのが志田郡師山であったとさ れている。1400(応永7)年に斯波氏が奥州探題に 任命されると、16 世紀後半まで陸奥国を統治してい く。

奥州探題斯波氏の領有地は、加美・志田・遠田・玉造・ 栗原のいわゆる大崎 5 郡で、鳴瀬川や江合川が乱流 する場所であったことから、河内と呼ばれていた。も ともと、この辺りは渋谷、大掾、泉田、四方田の 4 氏による「河内四頭一揆」が結ばれ、その勢力は武者 千騎に達したと「留守家旧記」にみえる。彼らが斯波 氏をここに迎え入れたものと考えられ、斯波氏の居城 は志田郡の名生城におかれ、これにより陸奥国統合の 中心が多賀城から志田郡に移る。斯波氏は、この頃か ら大崎氏を名乗るようになるが、これは地元との勢力 との結びつきを強めたことを示している。陸奥国の国 人・大名は定期的に大崎に出仕し、大崎氏を通じて室 町幕府と関係を結んでいくようになり、その後、四日 市場へと拠点を移すのである。

ところで、これらの勢力の背景を考える上で、こ の「河内」の立地を考えると興味深い。奥大道が通り、 薬莱山の麓を抜ければ出羽国に出ることができ、これ らに鳴瀬川や江合川が交差するなど、東北各地を結ぶ 交通の要所であることが分かる。四日市場は近世にお いても鳴瀬川水運の拠点となる場所でもあり、以上の 点からすれば、斯波氏がここに拠点を置いた背景には 流通との関連が注目される。

また、「風土記書上」には加美郡に「五人神主」を 置いたことがみえる。具体的には、四日市場の鹿島神

社、下新田の一宮神社、小野田の大宮神社、宮崎の熊 野神社、色麻町高城にあった八幡神社に、大崎氏が信 頼できる家臣の中から任命されたのではないかとされ ている。9 月 10 日の鹿島社の大祭では、この 5 社の 神主が参集して盛大に神事が行なわれたようで、流鏑 馬がそのハイライトであった。村々からは御幣銭があ がり、老若男女がうち連れてやってくるというもので あった。

このように、政治権力・宗教的権威を押さえ、権 勢を誇った大崎氏であるが、1523(大永 3)年に伊 達稙宗が奥州守護職に任じられると大崎氏は奥州探題 としての名誉を失い、また大崎義隆の家臣が二分して 対立した大崎合戦等により、一気に衰退し、豊臣秀吉 の奥州仕置により所領を失うことになる。その後、木 村伊勢守吉清・清久父子が入るが、大崎・葛西氏の旧 臣や領民の反感をかい、大崎・葛西一揆が起こる。こ れが鎮圧されると、伊達氏が岩出山、そして仙台に居 城を定め、ここを支配するようになるのである。

(2)近世の新田開発

[新田開発]

仙台藩では、表高が 62 万石であったのに対し、実 際は 100 万石を越えていたことが知られているが、 その背景には大規模な新田開発があった。では、仙台 藩はなぜ新田開発を行なわなければならなかったのだ ろうか。

まず第 1 に、伊達家は大家臣団を抱えていたため、 仙台藩では蔵入地・給地ともに不足をきたし、そこで 希望者に野谷地を給与し、これを開発させて知行高に 組み入れる方式を採用したことが大きい。家臣たちは、 適当な野谷地を見立ててこれを藩に申請し、許可を受 けて自らの家中をはじめ、百姓の二、三男を集めてこ

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れを開発し、5 年間は「荒野」扱いで無税とされ、そ の後に検地を経て知行高に加えていったのである。

また第 2 の要因として、江戸開府に伴う急激な人 口増加があった。すなわち、近辺の農村の生産高だけ では江戸の需要に応えることはできず、どうしても地 方から米を輸入する必要があった。政宗は、これに着 目して仙台領の米を江戸に積み出すことを考え、北上 川を改修して流域一帯の新田開発を容易にするととも に、河川等を利用した米の輸送の便を図り、石巻を米 の積出港として、江戸廻米に関する整備を行なった。 こうして、仙台藩領における米増産の積極的条件が 整ったのである。

ところで、野谷地開発は困難を極めたようである が、2 代藩主忠宗の代には活発に行なわれ、申請数が 増加したことから、1652(慶安 5)年には野谷地支 給の限度を 1 人 20 町歩までに制限し、それ以上は藩 主の許可制とするほどであった。しかし、これによっ て鈍ることなく、3 代藩主綱宗の代には再び奨励策と して無税期間を延長し、7 年としたことから、仙台藩 領内の新田開発は最高潮に達する。これにより、もと もと知行不足を補う目的ではじめられた新田開発も、 江戸買米による利潤獲得という積極的な意味を持つよ うになるのである。

このような家臣によって開発された新田は家中新 田というが、これ以外に藩直営による新田開発が大規 模に行なわれるようになる。これは寛文年間(1661 ~ 1713 年)に奉行奥山大学を中心にさかんに行なわ れ、家中新田よりも優遇され、検地後 10 年間の百姓 の諸役やお雇いが免除された。例えば、桃生郡では 1661(寛文 3)年から 1684(貞享元)年までの間に、 領内随一の1万 8000 石におよぶ新田が開発された。

このほか、百姓による新田開発も行なわれ、その 結果、貞享元年までに 33 万石余り、享保年代の総石 高は 100 万石に達していたようである。このように、 新田開発は近世前期を中心に行なわれ、中期以降は荒 廃田の復旧が中心となっていく。なお、郡ごとの新田 開発高をみると、桃生郡が 4 万 9000 石余り、次に迫 川流域の栗原郡が 4 万 2000 石余りで、このほか新 沼のある志田郡は約 2 万 5000 石、以下胆沢郡、遠 田郡というように、仙北地域を中心に進められていっ たことが分かる。

[買米仕法]

仙台藩の米は、江戸へ輸出されていたことは前述 の通りであるが、これは、本穀米とか本石米と称され、 江戸米穀取引所では建米(たてまい、標準米のこと) とされ、江戸市中米の中心をなしていた。仙台藩領内 の大規模な新田開発の背景には、この江戸買米があっ たわけであるが、それを支えたのが買米仕法と呼ばれ る、藩が農民から年貢以外の余剰米を独占的に買い上 げ、江戸に廻漕して売却し収益を収めた方法で、仙台 藩独自の方法であり、大きな財源ともなっていた。

藩による買米の初見は、1610(慶長 15)年に閖 上で米 385 石を買米した事例で、また 1635(寛永 12)年には北上川通と鳴瀬川通の各「御役場」に「御 買米衆」「御買米横目衆」を配置して、藩御用以外の すべての「わき米」を禁じた例もあるが、本格的に行 なわれるようになるのは 2 代藩主忠宗の時代からだ とされている。そして 3 代藩主綱宗の頃には 15 万石 以上が江戸に運ばれた反面、4代藩主綱村の頃には買 米のための資金不足に陥って衰退するが、5 代藩主吉 村の享保期に資金確保の方法が確立され、積極的に実 施されていくことになる。なお、初期の買米はいわば 任意供出的でいわゆるお恵み的な色彩を持ち、百姓か らも喜ばれたようであるが、享保期以降は強制割付や 強制供出の方法が採られ、大きな負担となっていった。

[鳴瀬川舟運]

このように、当地域の稲作は江戸への輸出という ものが大きな意味を持っていたわけであるが、その際 重要になるのが輸送の問題である。ここでは、新沼に 関連の深い鳴瀬川舟運についてみてみよう。

この鳴瀬川筋には、鳴瀬原産の石材を使用した中 世期の供養塔が数多く建てられ、このことから鳴瀬川 を利用していたことが伺える。しかし、本格的に整備 されるのは、近世以降である。大規模な河川改修や開 削工事が行なわれるが、これは田に水を引くためであ ると同時に、米や石材・材木を輸送する目的もあった。 「舟場」と呼ばれる船着場は、上流から加美町四日市

場を起点として、志田郡三本木、同下中目、同塊渡戸 を経て、遠田郡後藤淵、同慶半の 6 か所が設けられ、 高瀬舟や艜(たいら)船によって、下りは米を積み、 上りは石材や塩などを運んだといわれている。米は、 河口の野蒜を経由し、石巻まで運び、そこから大船に 積み替えて江戸へ運んでいた。

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第 3 節 新沼の誕生と展開

(1)新沼村の誕生

新沼は、近世には新沼村、近代に入って高倉村、 三本木町を経て、現在は大崎市に属している。大崎平 野の最南端に位置し、北の多田川と南の鳴瀬川に挟ま れ、土地は低湿で、沼沢地帯をなしていた。しかし、 今日では、集落が青々とした稲の海に浮かぶ島のよう な景観が広がり、まさに米どころ宮城県の農村を象徴 するかのようである。

現在、新沼は上宿(39)、下宿(72)、上沖(26)、 下沖(40)、中谷地(41)、北谷地(36)といったブ ラクと称する 6 行政区で構成されており(カッコ内 は 2017(平成 29)年の大崎市統計による世帯数)、 これは藩政村の範囲であり、かつ若宮八幡神社の氏子 圏とも重なっている。なお、村社若宮八幡神社が上宿 に、檀那寺である円通院が下宿に位置しており、また 上宿と下宿の間には、仙台藩伊達家家臣で準一家に列 せられた保土原家があり、周囲にその家臣とされる旧 家中が集住している。

「新沼」の初見は、「伊達治家記録」の 1588(天正 16)年の伊達氏と大崎氏の抗争の記事中に「新沼の 城主上野甲斐」とあり、また同年と思われる 2 月 14 日の伊達政宗書状(伊達家文書)によれば、「大崎新沼」 へ氏家吉継が出陣している。これらの史料より、少な くとも戦国期末から近世にかけては、すでにこの辺り が新沼と呼ばれていたことが分かる。

では、今日のような新沼につながる社会的単位は いつ頃からできたのであろうか。厳密に言えば近世か らになろうが、仙台藩領において藩政村の範囲が確定 するのは寛永検地以降とされ、志田郡に位置する新沼 村も同様であったと考えられる。先に紹介した近世期 の新田開発のあり様は新沼村でも同様で、正保郷帳 では本地 1119.59 石、新田 456.90 石というように、 すでに 1.5 倍となっており、天保郷帳では 2181.40 石と、正保郷帳の本地と比較すれば、耕地が 1.9 倍 となっている。この、1061.81 石の増加というのは、 志田郡旧三本木町に属していた 13 か村の増加分の 3 分の 1 を占め、新田開発が非常にさかんであり、近 世期に景観が大きく変わったことが分かる。その意味 でも、新沼は仙台藩領内の典型的な稲作農村のひとつ であるといえよう。

(2)「安永風土記」にみる近世の新沼

「安永風土記」は、仙台藩主伊達重村の命により『封 内風土記』が編さんされるにあたり、藩が当時の領内 の状況を把握させるため、村役人や寺などに提出させ たもので、正式には「風土記御用書出」という。新沼 の場合、肝入の伊惣七による「風土記御用書出」及び 「代数有之御百姓書出」のほか、円通院と若寶院によっ て自らの来歴や現状を報告した「書出」が残されてい る。いずれも 1775(安永 4)年 7 月とあり、近世中 期の新沼村の姿を考える上で参考になるので、紹介し たい。

[村名の由来と若宮八幡社]

まず、村名の由来であるが、「往古当村若宮八幡社 建立之砌、赤飯相入候鉢沼之水上より浮候ヲ造営之御 人足共昼飯ニ相用候ニ付、右沼ヲ飯沼ト名付、村名茂 飯沼ト申伝候」と記され、鎌倉時代に「若宮八幡社」 が建立された際、赤飯の入った鉢が沼に浮いていたの で、その沼を飯沼と呼び、村名も飯沼と称したとある。

ここで出てくる「若宮八幡社」であるが、「当郡拾ヶ 村鎮守」「当村並当郡中澤村堤根村引田村齋田村音無 村坂本村蟻ケ袋村伊賀村高柳村都合拾ヶ村鎮守ニ御座 候事」とあり、当時は新沼村のみならず、同じ志田郡 の「中澤村」「堤根村」「引田村」「齋田村」「音無村」「坂 本村」「蟻ケ袋村」「伊賀村」「高柳村」 の合計 10 か 村の鎮守で、別当は若寶院が勤め、祭日は 9 月 19 日 であったことが分かる。

その来歴については「頼朝公奥州泰衡御追討之節 鎌倉鶴岡八幡社へ御祈願被相掛御勧請被成置候処畠山 六郎武田太郎右両人御普請奉行ニ御座候由申伝候事」 といった記述のほか、別当である若寶院の記述に「若 宮八幡社之儀ハ頼朝公奥州泰衡為御追討御下向之節御 勧請之由申伝候其砌当院先祖右八幡宮別当ニ罷成頼朝 公より御朱印被下置候処第四世正覚坊代焼失仕候延宝 二年九月十五日洛陽八坂郷臼井春丸太夫藤原定清相記 候八幡社縁起写左ニ御書上仕候事」とあり、源頼朝の 藤原泰衡追討に際して鶴岡八幡宮に参拝、これを勧請 し「畠山六郎」「武田太郎」 を奉行に任じて創建し、 若寶院には頼朝より御朱印も下されたとある。

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であったことなども伺え、非常に興味深い伝承となっ ている。

[村落構成]

当時の新沼村には、本百姓にあたる「人頭」が 109 人おり、このうち没落して田畑屋敷を売り払い 水呑に転落した「沽却禿(こきゃくつぶれ)」が 8 人 いたことが記されている。家数は 162 軒で、ここに は名子 5 軒、水呑 4 軒、借屋 44 軒も含まれる。名子 が家数に含まれているのは、仙台藩の場合、譜代下人 が労働奉仕の見返りに生活上の庇護を受ける主従的な 身分関係につなぎとめられた半独立的な存在でありつ つも、主家の屋敷内に別家屋を構えて分家し、独自 の家族を形成することが認められていたことによる が(仙台市史編さん委員会 2003:396-397)、「人頭」 と同じレベルで家数に含まれている点は注目される。

一方、その村に古くより居住している中でも、草 分百姓や土着した旧武士の系譜を引き、代数を重ねて きた由緒ある家を、「安永風土記」では「代数有之御 百姓」という表現で把握している。新沼村の場合、「六 代相続二又屋敷肝入伊惣七」、「七代相続荒屋敷善四郎」 「六代相続東屋敷甚五郎」「五代相続上谷地屋敷久之丞」 「五代相続東屋敷幸右衛門」「五代相続福屋敷清右衛門」 「五代相続東屋敷兵右衛門」「四代相続釜屋敷岡右衛門」 の 8 人があげられている。「代数有之御百姓書出」に 記された各家の先祖をみると、順に「瀬戸土佐」「高 橋蔵人」「田中対馬」「佐々木備前」「星野善左衛門」「早 坂清右衛門」「横山源内」「田中与五右衛門」というよ うに苗字を持っている点は注目される。なお、「田中 与五右衛門」は「田中対馬」の三男ともあり、必ずし も本家筋だけではない点も注意すべき点である。

人数については、男が 370 人、女が 278 人の合計 648 人で構成され、ウマが 58 疋確認できる半面、ウ

シの記述はない。このほか、「作場通路舟」として「渡舟」 1 艘、「梁場通路舟」として「かつこ舟」2 艘があり、 いずれも「無御役」とされている。

[小名と屋敷]

新沼村の「小名」として、「落合」「花寺」「二又」 「宿」「高原」「柳原」「沖」「谷地」「中谷地」の 9 つ があげられている。

一方、「屋敷」は 45 あり、その構成軒数と合わせ て紹介すると、二又屋敷(4 軒)・風張屋敷(3 軒)・ 下飼屋敷(2 軒)・中屋敷(5 軒)・大田屋敷(6 軒)・ 本屋敷(1 軒)・柳原屋敷(5 軒、内沽却禿 4 軒)・若 宮屋敷(1 軒)・柳屋敷(2 軒)・下屋敷(2 軒)・槐 屋敷(1 軒)・からめ屋敷(1 軒)・荒屋敷(4 軒)・ 上谷地屋敷(3 軒)・新屋敷(8 軒)・北谷地屋敷(5 軒、内沽却禿 1 軒)・角屋敷(4 軒)・十文字屋敷(3 軒)・宿屋敷(2 軒)・川畑屋敷(2 軒)・武田屋敷(2 軒)・浦屋敷(3 軒)・ぶんとう屋敷(2 軒)・竹内屋 敷(2 軒、内沽却禿 1 軒)・前屋敷(3 軒、内沽却禿 1 軒)・西屋敷(2 軒)・北新沼屋敷(3 軒)・坊屋敷(1 軒)・原屋敷(3 軒)・町屋敷(1 軒)・東屋敷(2 軒)・ 釜屋敷(2 軒)・田中屋敷(1 軒)・長堀屋敷(1 軒)・ 谷地屋敷(6 軒)・金屋敷(1 軒)・米屋敷(1 軒)・ 一本柳屋敷(1 軒)・福屋敷(1 軒)・稲荷屋敷(1 軒)・ 吉窪屋敷(1 軒)・堰下屋敷(1 軒)・分屋敷(1 軒)・ 梨木屋敷(2 軒、内沽却禿 1 軒)・中谷地屋敷(1 軒)、 合わせて 109 軒(うち沽却禿 8 軒)となっている。 この「屋敷」を構成する家は、「人頭」と対応しており、 「名子」や「水呑」・「借家」 が含まれていないと思わ

れる。一方、その構成軒数をみると、最大でも 6 軒で、 2 軒や 1 軒のみというものも多い。この「屋敷」につ いて、これまでの民俗学では、生活互助組織としての 機能を持つ家の集まりのように理解されてきたが、1 軒や 2 軒で構成されるものもあることから、もう少 し慎重に検討する必要があるようにも思われる。

なお、この「安永風土記」にみられる「小名」や「屋 敷」と、現在ブラクの単位となっている「上宿」「下宿」 「上沖」「下沖」「中谷地」「北谷地」のまとまりとの対

応関係がはっきりしていない点は注目される。

[円通院と若寶院]

円通院について、「安永風土記」には「当寺ハ上野 国白井双林寺第三世曇英恵応和尚永正元年開山ニ付当 安永四年迄貳百七拾三年ニ罷成候事」とあり、1504(永

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正元)年に上野国白井双林寺の僧侶が開いたとされて いる。本山は、その上野国白井最大山双林寺、末寺と して「当郡桑折村群龍山大光寺」「賀美郡下新田村小 原山大祥寺」「同郡四日市場村龍臥山積雲寺」「栗原郡 高清水村白馬山龍泉寺」があげられている。また、寺 格として「保土原久馬家中寺」とあり、当時の円通院 と保土原家の結びつきが強かったことが伺える。

これに対し、若寶院は「当院ハ正浄院宥全開院ニ 御座候処右年月相知不申候事」とあり、創建年代はわ からないが「正浄院宥全」が開いたこと、本山末寺に ついては「本山ハ武州東叡山宮様ニ而羽州羽黒山寂光 寺扱相受於当国ハ慈雲山良覚院支配ニ御座候事」とい うように、「武州東叡山」つまり江戸の寛永寺を本山 とし、羽黒山寂光寺の扱、仙台藩領内では良覚院の支 配のもとにあったことが分かる。ここには、「古キ什 物」として、銘安綱の太刀・三条小鍛冶作の長刀・太 鼓・藤原正證作の獅子頭の 4 品があり、これらは源 頼朝が奉納したものと伝えられていたようである。こ のほか、「別当所」として若宮八幡社・高良社・諏訪 社・愛宕社・天神社・道祖神社・熊野社・羽黒社・百 古社・敷玉社・白山社・大天羽堂・薬師堂のほか、中 澤村の鹿島社・見当権現社・牛頭天王社、堤根村の鹿 島社、引田村の鹿島社、高柳村の鹿島社、音無村の阿 弥陀堂、伊賀村の鹿島社・稲荷堂・愛宕社・毘沙門堂・ 薬師堂の神社 21 社、仏閣 4 つ、合計 25 か所があげ られ、これらの祭祀に関わっていたことが分かる。

[その他の神仏]

上記のほかにも、表 1-1 のように、新沼村にはさ まざまな神仏が祀られていた。このうち、「弁財天社」 は上宿の弁天、「諏訪社」「愛宕社」「薬師堂」はそれ ぞれ下宿の諏訪神社・愛宕神社・薬師堂、「道祖神社」 「百古明神社」「稲荷社」は下沖の道祖神・百古稲荷神

社・高倉稲荷神社にあたるものと考えられる。「天神 宮」は上沖のそれの可能性が高いが、現在の伝承との 違いが気になる。また当時、「百古明神社」と「稲荷社」 には大崎氏家臣と関連する伝承もあったようである が、第 7 章で紹介する今日の伝承とは若干のずれも みられ、いずれもその後の紆余曲折を経て今日に至っ ているものと推測される。

これらの神仏の多くは、若寶院が別当として祀っ ていたようであるが、稲荷社と弁財天堂は地主が別当 となっていて、ほかのものとの違いもみられ注目され る。

(3)近代以降の展開

[近代初頭の新沼]

さて、近代に入ると、藩政時代の新沼村は大きく 変わることになる。まず、1872(明治 5)年に大区 小区制が敷かれると、新沼村は第 7 大区小 3 区となり、 1874(明治 7)年に再編成されると、堤根村・中沢村・ 引田村・矢目村・高柳村・蒜袋村とともに 7 村が第 4 大区小 2 区に所属、1876(明治9)年には、伊賀、 音無、斎田、坂本、蟻ケ袋、三本木、南谷地、桑折、

縦 横 向き 縦 横

高良社 若宮 17間 9間 西 1間2尺 1間半 御村空地 若宝院 4月15日

松尾社 若宝院境内 南 若宝院 若宝院 9月19日

諏訪社 宿 9間 19間 南 御村空地 若宝院 8月27日

愛宕社 二又 42間 12間 南 二又屋敷伊惣七 若宝院 6月24日

道祖神社 沖 5間 6間 南 釜屋敷岡右衛門 若宝院 9月28日

天神社 柳原 5間 6間 南 柳原屋敷源五郎 若宝院 9月25日

熊野社 沖 6間 6間 南 沽却禿跡地 若宝院 9月9日

羽黒社 沖 7間 4間 沽却禿跡地 若宝院 9月9日

百古明神社 牛房屋敷 8間 7間 東 浦屋敷藤右衛門 若宝院 9月9日 大崎御家臣遠藤掃部

様御勧請。年月不詳。

敷玉社 敷玉森 6間 7間 南 御村空地 若宝院 4月15日9月19日

稲荷社 新屋敷 5間 7間 南 新屋敷太四郎 太四郎 10月1日 様御勧請。年月不詳。大崎御家臣上野甲斐

白山社 若宝院境内 若宝院 若宝院 3月3日

薬師堂 宿 9間 6間 南 新屋敷平五郎 若宝院 4月8日

9月9日

本尊石仏坐像。 鳥居南向き。

大天羽堂 長堀 4間 9間 釜屋敷岡右衛門 若宝院 9月9日 本尊無し

弁財天堂 原屋敷 1間 1間 原屋敷五郎平 五郎平 9月24日 本尊無し

※ 若宮八幡社・円通院・若宝院は除く。

大破 大破 神社

仏閣

1尺7寸四方 大破 大破 大破

大破 大破

大破

1間 7尺

地主

1間

祭日

区分 社地・境内

若宝院境内 小名

名称 社・堂 備考

大破 1間

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秋田、上伊場野、蒜袋、中沢、高柳、下伊場野ととも に 15 か村で第3大区第1小区に属し、1889 年(明 治 22)の町村制施行では引田、矢ノ目、堤根、中沢 とともに高倉村となった。

さて、町村制施行以前の近代新沼村の姿を考える 上で注目されるのが、図 1-4、宮城県公文書館所蔵の 「宮城県管轄陸前国第四大区志田郡小二区新沼村」と 題する絵図である。史料名からすれば、明治 7 年か ら 9 年の状況を表していることが分かる。これをみ ると、さまざまな情報が示されており非常に興味深い が、まず目に付くのが、村内が「字○○囲」という単 位で区分され、そこに地番が付けられている点である。 具体的には、「第壱番字行人堤北囲」「二番字大下囲」 「三番字内角谷地囲」「四番字南角谷地囲」「五番字行

人堤南囲」「六番字ヤクワン橋囲」「七番字新江囲」「八 番字長堀北囲」「九番字大天馬囲」「拾番字樋口囲」「拾 壱番字舞台囲」「拾二番字中ノ町囲」「拾三番字雷囲」「拾 四番字北野土囲」「拾五番字下大釜囲」「拾六番字前田 囲」「拾七番字上小関囲」「拾八番字上大釜囲」「拾九 番字下小関囲」「廿番字西害囲」「廿一番字太田囲」「廿 二番字南野土囲」「廿三番字北薬師堂囲」「廿四番字南 薬師堂囲」「廿五番字六郎兵衛囲」「廿六番字荒屋敷囲」 「廿七番字羽黒囲」「廿八番字天神囲」「廿九番字中嶌囲」 「三拾番字壱本杉囲」「三拾壱番字堤囲」「三拾二番字

新田浦囲」「三拾三番字小原囲」「三拾四番字高原囲」「三 拾五番字新田囲」「三拾六番字坪呂囲」「三拾七番字若 宮囲」「三拾八番字上川原囲」「三拾九番字諏訪囲」「四 拾番字舩場囲」「四拾壱番字二又囲」「四拾二番字川原 目囲」「四拾三番字老勢堂囲」「四拾四番字板橋囲」「四 拾五番字大堤囲」「四拾六番字葡萄囲」「四拾七番字道 下囲」「四拾八番字蘭塔囲」「四拾九番字小曽箱囲」「五 拾番字栄南囲」「五拾壱番字栄北囲」「五拾二番字中谷 地屋敷囲」「五拾三番字中谷地浦囲」「五拾四番字道合 囲」「五拾五番字中谷地東囲」「五拾六番南谷地境囲」 「五拾七番字田中囲」「五拾八番田中西囲」に分けられ

ている。

まず、地番の配置をみると、現在の行政区でいうと、 北谷地から上沖・下沖の範囲に向かい、そこから上宿・ 下宿まで行くと今度は中谷地の方にあがっていくとい うように、新沼の西半分を北の端から南に向かって、 西から東に順番に付けられていき、そこから東半分を 逆に北に向かってさかのぼる形でふられていることに 気付く。この点からすれば、今日の行政区を意識して いるようにもみられなくはないが、その名称は記述さ

れておらず、この当時から今日のブラクのまとまりが あったかどうかはわからない。

次に、この「字○○囲」と地番の関係をみてみると、 例えば「第壱番字行人堤北囲」と「五番字行人堤南囲」 は、もともと一つであったと推測されるが、前者が 1 番なのに対し後者は 5 番というように、両者の間に はズレがみられる。これは、「行人堤」が「行人堤北」 と「行人堤南」に分かれ、さらに後になって機械的に 番号が付されていったと考えるのが自然であるが、地 番に先行する「字〇〇囲」という地名が、いつからの ものなのかは、今後史料等で検討する必要がある。

また、この「字○○囲」の名称をみると、「五拾二 番字中谷地屋敷囲」のように近世期の「屋敷」と重なっ ているところもあるが、宅地・耕地に関係なく付けら れ、「四拾壱番字二又囲」以外は「小名」とも重なっ ておらず、まったく異なる地域区分・名称となってい る点は注目される。今日聞かれるカコイという単位と、 「安永風土記」にみられる「屋敷」「小名」 との関係は

これまで曖昧であったが、安易に結び付けることがで きないことを示しており、近世から近代にかけて大き く変化している可能性を伺わせる。

一方、現在の小字名との関係をみてみると、「字 〇〇囲」にみられる地名は、今日では確認できないも のもあるが、重なるものも多い。特に全体的な傾向と して、耕地の方は大きく変わる例が多い半面、屋敷地 の小字名をみると、この「字○○囲」と重なるものが 多い点は注目される。また、「二番字大下囲」は、現 在は「字行人堤」となっているが、第 2 章でも紹介 するように、通称地名としてオオシタ(大下)と呼ば れており、この「字〇〇囲」が現在の地名の基盤となっ ていることが伺える。ただし、すべてがそのままかと いうとそうではなく、「廿八番字天神囲」は第 7 章で 紹介する現在聞き書きで確認できる天神囲と完全に一 致するとは言えず、注意が必要である。

いずれにしても、この時期に現在の地名の基本的 な形が整理され、その後の変化を経て今日に至ってい ることは指摘でき、すべてではなくとも、このことは 当地域の民俗が近世から近代にかけて大きく変化して いることを伺わせる。

[今日の行政区の形成]

(31)
(32)

に区分され、それぞれ区長が選出されていたようであ る。これが今日のブラク(部落)と呼ばれる6行政区 に分かれるのは、1940(昭和 15)年に戦時下の大政 翼賛会の末端組織として整備された部落会に端を発す る。例えば、上宿の場合、1938(昭和 13)年に高倉 村産業組合が設けた上宿農業会があったが、1940 年 に上宿区が、翌年に上宿部落会が設置され、厳密に言 えば、これによって上宿を単位とする自治組織が誕生 したという(岡山卓矢 2013)。さらに、1947(昭 和 22)年に、いわゆるポツダム政令により部落会は 禁止され、サンフランシスコ講和条約発効後の 1952 (昭和 27)年に禁止が解かれると自治会組織として再 組織化され現在に至ることになるが、このような動き は上宿だけでなく、ほかのブラクでも同様であった可 能性が高い。

ところで、1953(昭和 28)年、法律第 258 号を 以て施行された町村合併促進法の下で、宮城県試案と して三本木町、高倉村および下伊場野村の 1 町 2 村 の合併が打ち出された。高倉村では当初、県試案に対 し全面的に賛意を表明していたが、もともと純農村で あったことから、隣接する加美郡鳴瀬町との合併案が 台頭することになった。村民の多くがこれを支持し、 大勢がこの方向に移っていくことになる。

しかし、加美郡中新田町を中心とする県試案が進 展するにつれ、郡を異にする高倉村がここに受け入れ

られないこととなり、不調となるや一転古川市との合 併に奔走することになった。新沼の住民は古川市との 合併案に反対し、混乱することになるが、1954(昭 和 29)年村議会は多数決により古川市との合併を決 定した。その後も、この合併に反対する動きは収まら ず、北谷地は古川市にとどまるものの、上宿・下宿・ 上沖・下沖・中谷地の新沼 5 つのブラクは、三本木 町への合併を目指した。この間の動きについては『三 本木町誌 上巻』に詳しいのでそちらに譲るが(宮城 県志田郡三本木町誌編纂委員会 1966a:231-236)、 相当混乱したようで、最終的に 1955(昭和 30)年、 古川市からの境界変更により、新沼の 5 つのブラク は三本木町に編入されることになったのである。そし て、2006(平成 18)年の大崎市の誕生により、ここ に組み込まれ、今日に至っている。

(33)

概 

 

生 

 

信 

 

第 2 章 生 業

生 

 

宮 城 県 有 数 の 米 ど こ ろ で あ る 新 沼 は 、 農 業 を 中 心 と し つ つ 、 馬 車 に よ る 運 送 業 、

個 人 商 店 な ど さ ま ざ ま な 生 業 が 展 開 し て い る 。

農 業 機 械 が 導 入 さ れ る 以 前 の 稲 作 に お い て は 、 ユ イ や テ マ ド リ と い っ た 労 働 力 に

支 え ら れ な が ら 広 大 な 土 地 を 耕 作 し て き た 。 現 在 で は 、 基 盤 整 備 に よ っ て 区 画 が 整

理 さ れ た 圃 場 、 暗 渠 用 水 路 が 導 入 さ れ 、 大 型 の 農 業 機 械 を 使 っ た 先 端 的 な 農 業 を 営

ん で い る 。 ま た 、 減 反 政 策 に 対 し て も 、 集 落 ご と 組 合 を 組 織 し て 対 応 し て き た 。

畑 作 に お い て は 、 ヤ シ キ バ タ ケ や ト オ バ タ ケ と 呼 ぶ 畑 で 多 様 な 種 類 の 自 家 消 費 作

物 が 栽 培 さ れ 、 一 部 の 家 で は 個 人 の 販 路 や 産 直 を 利 用 し て 販 売 さ れ て い る 。 畑 で の

作 物 の 生 産 ・ 販 売 は 家 ご と さ ま ざ ま な 判 断 の も と 行 な わ れ て い る た め 、 各 家 の 事 例

も 取 り 上 げ る 。

(34)

第 1 節 生業の概要

(1)耕地

[土地]

新沼は、宮城県内でも米どころとして知られる大 崎平野に位置し、南には鳴瀬川、北には多田川が貫流 する。

新沼はたびたび洪水、滞水に見舞われ収穫量が著 しく減少する時期があった。近年では、土地改良区が 組織され、用排水の整備が行なわれたため、年々収量 が増加している。また 1993(平成 5)年から圃場整 備が実施され、圃場の大型化や暗渠用水路が整備さ れた。一方で、水害の多い地帯でもあり、2015(平 成 28)年の台風の際には大きな被害を受けた。また、 新沼は稲作には適した土地であるが、畑作には向かな いという話をよく耳にする。

[土質]

鳴瀬川沿いに位置する上宿や下宿は、砂質の土壌 で一部が粘土質である。粘土質の土壌は、水分を蓄え やすいが、水捌けが悪いため乾燥に時間がかかり、排 水後の圃場で行なう稲刈りは大変であると聞かれる。 砂質の土壌は、米作りに適さないという話がある一方 で、水捌けの良さから米作りに適していると話す人も おり、農法や使用する機械、品種や個人の考え方によっ て土壌への認識には違いがある。例えば、水捌けがよ い田はひとめぼれやササニシキを育てるには適してい るとされ、こうした田を「ザルタ」と呼ぶ人もいる。 上沖や下沖の耕地は、一部は砂質だが多くがマヅ チ(真土)もしくはマヂチと呼ばれる土質(以下、マ ヅチと表記)で、粘土質の成分は少なくやや黒っぽい。 マヅチは土が絡まり作業が大変であるが、肥料の養分 は蓄えやすく、耕作に適している。

北谷地は、粘土の割合が多い埴壌土で、米作りに は最も適しているとされる。しかし、水が捌けにくく、 田植えなどの仕事は大変であったため、特に大きな機 械が必要とされた。北谷地にある大崎市古川高倉排水 機場周辺は大下(オオシモ)と呼ばれているが、この 大下一帯は特に水害に遇う頻度が高く、上流から流れ てくる土砂が堆積する。しかし、その分養分も流れて くるため、肥えた土地となり、美味しい米がとれる土 地でもある。

[農業の状況]

新沼の一般的な圃場は、およそ 1 町歩であり、南 北に長い。なお、新沼における総農家 95 戸のうち、 販売農家は 60 戸、自給的農家は 35 戸、土地持ち非 農家は 84 戸となっている。

[圃場の整備]

鳴瀬川流域の大崎平野における大規模な基盤整備 は、1910(明治 43)年の大洪水をきっかけに行なわ れた耕地整備事業を始まりとし、大正年間にも耕地整 備が実施された。

しかし、圃場が狭かったため、大型機械の導入が 難しい状況にあったことから、圃場の大型化と用排水 路の整備が 1993(平成 5)年から 2000(平成 12) 年にかけて行なわれた。これは県の補助を受けて行な う「高生産性大区画ほ場整備事業(区画整理、地盤整 備)」である。圃場や用排水の整備を行ない、生産コ ストの低減化、耕地の汎用化、農業経営規模による農 業経営の安定化がはかられた。鳴瀬川左岸の国営かん がい排水事業鳴瀬川地区内である、鳴瀬川第 2 地区、 高倉地区、新沼地区、蒜袋地区で大規模な区画整備が 行なわれ、予定通り 2000(平成 12)年に完了した。 以前の圃場は、1 反歩であったが、基盤整備後に 約 1 町歩の区画として整備された。整備には本来 1 反歩あたり 190 万円ほどの費用がかかるが、95 パー セントが補助金で賄われた。

基盤整備の工事中は、あらかじめどの年に誰の田 を整備するのか決めておき、そこに当たった田の所有 者は 1 年間稲作を休んだ。整備中は、稲作を休む家 が偏らないようにした。1 年間作付けができないため、 行政からの奨励金が支給されていたが、収穫量が減る ため、翌年の自家で消費する米を貯蔵していたという 家もある。

総農家 販売農家 自給的農家 土地持ち非農家

上宿 1990年 26 24 2

2015年 21 16 5 7

下宿 1990年 43 39 4

2015年 17 10 7 23

上沖 1990年 22 21 1

2015年 9 2 7 13

下沖 1990年 34 34 0

2015年 13 3 10 23

中谷地 1990年 18 18 0

2015年 15 13 2 7

北谷地 1990年 33 32 1

2015年 20 16 4 11

表 2-1 新沼の農家の状況

参照

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